「陰陽師 滝夜叉姫」読了。

出荷センターで暇を持て余してたので思わず読了。長編も面白いなァ。
しかし、この原作とあのコミカライズが、なんで映像化するとあんな陳腐なものになるのか…。(ほとんど見てないくせに)
印象に残ったシーンは序盤、清明と共に桜を見ていた博雅の。

「きちんと咲いて、きちんと散る。桜は、桜として咲くことによって桜として何ごとかをまっとうし、そしてまた桜として枝から離れ、散ってゆく……」
「どこから見ても桜だ。桜は、桜のようにしか咲くことができぬ。桜のようにしか散ることができぬ。まったく、桜はなんとみごとに桜であることであろうか」

博雅のこういうとこ大好きよ。いいなァ。この空気。


もうひとつは呪法の一種「蠱毒」について。
蠱毒」とは、ざっくり言えばヘビやカエル、蜘蛛やムカデ、ネズミなどを大量に捕らえ、それを大きなツボの中に閉じ込めて互いに共食いさせる。
そして最後に残った一匹を式神として呪う相手に使う。 死んだ仲間の精気のすべてが、最後の一匹に集まっており、これが実に強力な呪物、式神となる。


この「ツボ」を比喩として用いれば、人々が互いに殺しあう戦争も、ひとつの蠱毒といえるのではないだろうか。


面白かったシーンはクライマックスの二人の人並みはずれた剛の者同士が嬉々として切り結ぶシーンは燃えるわい。
あと、すべてが一堂に会するシーンにて、善悪敵味方関係なく面白いほうへと引っ掻き回していた芦屋道満が最後の見物として樹上に腰を下ろしているところへの清明のセリフ。
「こたびは、色々とお動きになられたようで、樹上でお休みとは、お疲れになられましたか―――」ってのがおかしい。
どちらも同じステージに立っているからこそ通じる意思の疎通みたいなものを感じるよ。


いや、面白かったわ。