昨夜からずーっと。

今回のゼル伝が何故に航海かってのの作中での理由が明らかになる。コレ、このシナリオ上の理由と、システム的な発想はどっちが先だったんだろう。
ちょっと考えたんだけども今回トゥーンレンダリングで作られてナニが出来るようになったかっていったら風の表現かなーと。「大神」でもそうなんだけど、風を表現するのに従来のゲームだとそれこそステータス画面みたいなので現在の風向が記号化されたり、旗や何かが一定方向になびいていたりで表現していたのが、漫画表現をそのままアニメーション化できるトゥーンレンダリングで風の動きを表す漫符がそのまま使えることにより、周囲に何もない海原や大平原での風向を表現できるようになったんじゃないかなーと。そこで「大神」ではその風の表現を自ら描き込むことによって風をあやつれるようにしたり、このゼル伝では「風のタクト」でコントロールした風の動きを表現したんじゃないかと。
……とか言うことを発売して5年もたったゲームについて考えた有意義で無意味な休日でした。
あ、あと、まだプレイ中なんだけども、シナリオ上でとあるひきこもりで臆病な若旦那と代々そのお付である一族の少女がいるんだけど、ひとまずリンクがイベント上その若旦那に勇気を与えて成長させるってのがあって、それはそれでひと段落。んで、後々にそのお付の少女が実は世界を救う鍵となる賢者の末裔であることが判明して、その地を離れなければならなくなる。でも少女は若旦那の中でずっとお付の少女としていたい為に、何も告げずに出てゆく。んでそのあと、いつも少女が音楽を奏でていた場所に若旦那が一人でいるシーンが映されるんですが……せつなーい! たしか「ゼルダの伝説 時のオカリナ」でも主人公リンクが育ちの里を去る切ないシーンがあったんだけど、(ちなみにこのシーン「脳と仮想」で茂木健一郎が感動してた)なんだろう、このゼル伝の別離による成長は。
んで今ふと思いついたんだけども、「時のオカリナ」では主人公が育ちの里を出る際に幼馴染の少女に「もう帰ってこないような気がする」って言われながら旅立ち、見送った少女は物悲しいひぐらしのなく森のつり橋で一人悲しそうな表情で見送っていたのに対し、「風のタクト」では人知れず去っていった付き人がいた崖に一人で立ちすくむ若旦那って言う、真逆の状況になってるのは、98年の「時オカ」と02年の「風タク」の間にナニがあったんかなーとか考えます。ヒキコモリが騒がれだしたのってイツだっけ?

ゼルダの伝説 時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ