「夏の子供」読了。

先日に引き続き、復刊した「魚住くんシリーズ」読了。

夏の子供 (SHYノベルス)

夏の子供 (SHYノベルス)

前回のラストで大きな転換期を迎えた魚住と久留米。そして二人の周りにおこる出来事に、二人とも否応なく変化していく。

偶然とか必然とか運とか努力とか。世の中はそれらがゴチャゴチャに絡まって、混沌としている。その混沌からマリは目を逸らさない。きちんと見据えながら、しょうがないねと笑う。

恋とはまったくもって、偉大におかしな現象である。セオリーは存在せず、ロジックは役立たずだ。誰もがそれに翻弄される。

生きていく上で、人と付き合う上で、恋をしていく上で、世界は混沌としている。大なり小なり、誰もがそれに翻弄される。

生きている幸運を、人はつい忘れてしまう。
自分が行きている幸運。
愛しい相手が生きている幸運。

(おまえの指はね、真澄)
(おまえのその指は、なくしたものを数えるためにあるんじゃないのよ)
(出会えた人を、数えなさい。おまえが出会えた、大好きな人を数えるの。その人が行きてても死んでても数に入れていいの)
(いいのよ。数えなさい、大好きな人を。いつか嫌われることがあってもいいの。別れることがあってもいいの。出会えたことも、好きだったことも、嘘じゃないんだから、それでいいの)

目を閉じないで
見てごらん
聞いてごらん
感じてごらん
おまえがいなければ、この世界は存在しないのよ。

それでも、世界を愛せるような、まるでつよいこどものようにありたい。
そして、もしも世界に殺されそうな時に、受け止めてくれる人がそばにいることを。
もしくは、そんな殺されそうなつよいこどもを受け止められるような人であることを。
その大切さを、想う。


思い返せば初めてこの作品に出会ったのは思春期も終わる頃だった。
この作品と再会した今、自分は魚住たちと同い年になっている。
今自分は、そんな人に近づけているだろうか。