スカラカ・チャカポコ。

精神・脳科学において奇才にして世紀の天才である正木博士が日本内地を遍歴する片手間に、至る処の大道で、人を集めて配布した阿呆陀羅経の歌で、町田康舞城王太郎もビックリのリズミカルかつクレイジーな内容で自分が以前ココを読んでいるときに思わず口に出して朗読してしまい、妹が何事かと見に来たという愉快なもの。(愉快なのはオレのアタマなわけですが。)最初の一小節だけ抜粋。

▼ああア―――アア―――あああ。右や左の御方(おんかた)様へ。旦那御新造(ごしんぞ)、紳士や淑女、お年寄りがた、お若いお方。お立会い集の皆さん諸君。トントその後は御無沙汰ばっかり。なぞと云うたらビックリなさる。なさる筈だよ三千世界が。できぬ前からご無沙汰続きじゃ。今日が初めてこの道傍(みちばた)に。まかりいでたるキチガイ坊主……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……。
……サアサ寄った寄った。寄ってみてくんなれ。聞いてもくんなれ。話の種だよ。お金は要らない。ホンマの無代償(ただ)だよ。こちらへ寄ったり。押してはいけない。チャカポコチャカポコ……
……さっさ来た来た。来て見てビックリ……スチャラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ……

周りに誰もいないことを確認してからちょいと口に出して読んでみてくださいな。これを木魚をチャカポコチャカポコと叩きながら無我夢中に叫んでみよう。ちょっと町田康っぽいな。
そして語る内容が、文明開化で日進月歩の科学万能の世において、精神医学の驚くべき実態とキチガイ地獄の有様をチャカポコチャカポコ暴き出すわけでスチャラカチャチャラカああもう頭から離れない。
まあ、まだ途中なのでこのぐらいで。チャカポコチャカポコ。

  • さて、前回のコミックレビューの続きを。
    • とりあえず文庫コミックから。黄昏流星群 1 (小学館文庫 ひA 31)を。前々から買おう買おうと思っていたら文コミ化したのでここぞとばかりに購入。以前読んでると「お前それは枯れたおっさんたちが読むものぜ、枯れとぉー」との賛辞をいただきました。いや、面白いですってば。もうね、不惑も還暦も過ぎたオッサンおばさんがまさに人生を賭けて恋をするわけですよ。まさにディープラブですよ。小娘やクソガキがチャラチャラドラッグ売ってカラダ売って「ホントウのあたしって?」とかチャンチャラプーなワケですよ。(読んでもないくせに)
    • この間に収録の「不惑の星」のラストのモノローグで「平均寿命まであと○○年」とか、若造には真似できないスタートラインですよ。もう一つの「流星美人劇場」なんて六十二と六十三歳のババアがバーやってて、たまたま入ってきた客に「うわっバケモノ!」とか言われるわけですよ。それで二人が「わたしたち、もはや姥桜でもなかったんだ。」「バケモノだったのね。」って言うんですよ。遣る瀬無いじゃァないかと。うう…よくよく考えたらもしかしたら特定の人に色々出来過ぎな話だったりするかもしれないけど、いい。もう人生の黄昏なんだから、夢見せたっていいじゃないと、団塊の世代に幸あれと、そんな枯れ気味の若造の感想。
    • でもアレだな、あまり親に読ませたくないような気もしないでもないなァ。どうするよ、道ならぬ恋に色めきだったら。……まあ、いいか。
    • お次はやっぱり文コミの《新装版》 我楽多街奇譚 (ソノラマコミック文庫)高橋葉介初期作品シリーズ。奇妙奇天烈、幻想怪奇、シュール、ビザール、ファンタジックでクレイジーな作品集。どっかのクソったれな少年犯罪者がマリリン・マンソン聞いて犯行に及んだなんてチャンチャラ可笑しくなるぐらい。まったく関係ないですが。表題作シリーズの「私はいかにして引力と手をにぎったか?」やライヤー教授の午後シリーズのミリオンや猫夫人、宵闇通りのブンシリーズのゲストキャラたちのなんとクレイジーで魅力的でおバカさんな事。気に入ったセリフはライヤー教授シリーズ最終話のミリオンのセリフ。

まあいいさ/結局今日から明日へ移るってことは悪夢から別の悪夢へ乗り換えるってことなんだろうし………
生ある者と思っていた人たちが実は死人だったんだ/いま僕のいるこの世界が夢じゃないなんて誰が言える?/いまこの瞬間僕を揺り起こすものが居ても不思議じゃない
そうしてまた別の悪夢が始まるのさ/悪夢なら悪夢でその中をせいいっぱい生きるよりしかたがないんだ………

幻想怪奇のフィクションの中での胡蝶の夢
古屋兎丸の電子レンジで自分の気を狂わせたい少女の話を連想した。あれ、なんだっけかな。


やっぱり続きはまた明日。