「バイバイ、エンジェル」読了。

  • また2章分だけ消化しようと思ったら、母親がCATVの韓流ドラマ(って言うか「チャングム」)を視るために自室を追い出されたために微妙に暑い妹の部屋で読了。って言うか、まだ暑いよ福岡。日の落ちた19時ごろで29℃ってなんでやねん。でも田んぼはまだ乾いていないので稲刈りはまだ。となりの田んぼからの水が染み入ってなかなか乾かない…。 いや、ソレはどうでもいいとして。 和製ミステリ作家で押えておくべき作品の一つ「バイバイ、エンジェル」 入手自体は半年前に購入していたのだけれども、国内作家の癖に舞台がフランスで、登場人物も一人を除いて皆フランス人のため、まるで海外作品張りに人物名がおぼえきれず。ええい、ややこしいっちゅうねん、ジャネットだの、ジョゼットだの。くそ、なんかインテリ作家の鼻持ちならない自意識が透けて見えるのはきっと受け手である自らに鬱屈した劣等感があるからでしょう。自重しろ俺。
  • そんなひねくれた自己蔑視はともかくとして、本格古典ミステリを彷彿とさせる、首斬り死体から始まる連続殺人事件。落ちぶれた旧家と、なりあがったその小作人を主軸として展開する事件に首を突っ込む、司法警察の警視の娘であるミステリ好きのナディアと彼女の大学のクラスメイトである謎の日本人青年・矢吹駆。まァぶっちゃけコノ日本人青年・矢吹駆が探偵役なわけですが、こいつがまた「現象学的推理」とかのたまう思考によって事件の本質を直観する。……「直観」自体が「本質を見抜く」だから二重か。
  • まァなんか気に喰わないあらすじ紹介してますが、面白かったです。特に確信犯である真犯人相手に同情しながらも批判するラストの直接対決。「革命」についての論議はなかなか熱かったです。
  • 特にそれの根幹となる、生物的な犯罪と観念的な殺人について。以下抜粋。

「孤島に、二人の男が漂着したと考えるのです。飢えが彼らを苦しめています。そして、ついに耐え切れなくなった一人の男が、殺してその肉を食うためにもう一人の男を襲ったとしましょう。これが殺人の一つの理念型です。人間のあらゆる行為は、物質的欲望の充足と、生命が生命である限り避けることの出来ない固体の死を一刻でも先に引き伸ばそうとする自己保存の衝動に還元されるという認識に対する、そうした殺人」
「つまり、人間による殺人だね」
「そうです。僕はこの方の殺人を生物的な殺人と名づけました」
「それでもう一つの型は」私が促した。
「さっきの例で言えば、襲われた男が、自己保存のためにではなく襲った男を殺すという可能性を考えてみるのです。例えば、飢えに狂った男に殺人と人肉喰いという許しがたい悪を犯させないために、もう一人の男があえて犯す殺人。神や、正義や、倫理の名においておかされる殺人。これは生物的な殺人に対して、いわば観念的な殺人とでも言うべきものです。つまり、殺人のもう一つの理念型です」

この後者の観念的な殺人の真の犯人とは、姿かたちのない目に見えない、何か抽象的なものである。
確信犯がこれに当たるわけですね。まァソレをどう片付けるかは読んでみてーといったところ。
しかし革命ですか。安穏と生きている平成のボンクラ青年にとっちゃソレこそ実態のない曖昧模糊とした観念ですな。愚鈍で盲目な豚畜生なので目先の食欲と情欲に目が眩み鼻先にぶら下げられた餌ほしさに単調に働き続けるのでしょう。愚民。

バイバイ、エンジェル (創元推理文庫)

バイバイ、エンジェル (創元推理文庫)

表紙でねーのかよ。