「クラッシュ」読了。

J.G.バラードの「クラッシュ」を読了。
不慮の交通事故にあったことをきっかけに、クルマの衝突とその痕跡に性的興奮を感じるようになった男が
事故後、彼の前に現れた同じ性癖の男、ヴォーンとの出会いから、「テクノロジーを媒介にした人体損壊とセックスの悪夢的幾何学」に囚われてゆく…。
全編、性描写か車の描写、もしくは身体に刻まれた自動車事故の傷跡について延々と描かれ
現在の自動車文化を先読みしているかのごとく、クルマに関するテクノロジー圏内での人間の意識をセックスを通して描写している……ような気がする。


具体的に引用してみると作中、ヴォーンから受け取った、事故車と、その被害者について偏執的に調べられたアルバムを読むシーンで

最後の数枚、では女性は(略)身障者用自動車運転の初めてのレッスンを受ける。ペダル操作の複雑なブレーキやギアと格闘する姿を見るうちに、事故からの回復の過程で、悲劇的負傷によってこの女がどれほど変化したのかがわかってきた。最初の写真で事故車に横たわっていたのはどこにでもいる若い娘であり、その左右対称な顔とたるんだ肌が、おとなしく快適な生活を、身体の真の可能性を追求することなく、大衆車のリアシートで軽いたわむれを楽しむだけの生活経済を綴り出していた。中年福祉局員の車に座りながら、自分達の性器と様式化された計器パネルとの交差点にも、事故の瞬間に始めて明らかになるエロティシズムとファンタジー幾何学にも、膝と恥骨にもりあがった肉の上で旋回する熾烈な婚姻にも気付かないままの女の姿が想像された。心地よい性夢を見ていたこの陽気な娘は、叩き潰されたスポーツカーの歪んだコックピットの中で生まれ変わった。三ヵ月後、新しい障害者仕様の車で、理学療養士の隣に座った彼女は、クロームのレバーを太い指でしっかと、まるで自分のクリトリスの延長であるかのように握りしめている。訳知り顔の目は、不自由な足にはさまれた空間が、つねに筋肉質の若者の視線をあびていることを充分意識しているように見えた。男の目は、ギア・レバーを動かしては潤む、恥骨をおおう湿地をさまよった。ひしゃげたスポーツカーの車体が、彼女を自由な、倒錯したセックスの生き物へと変え、ねじくれた隔壁ともれたエンジン冷却液の滴りの中にあらゆる逸脱したセックスへの可能性が開放されたのだ。不自由な太ももと役立たずのふくらはぎは魅惑的な倒錯のモデルだった。(以下略)

このあとも、事故によって損傷した身体と、エロティシズムの結合が描写されるんですが、なんとまァ猥褻なのか。


あ、ところでずっと文中で「ウインドシールド」がなんなのか分かってませんでした。
まァ文の前後から「フロントガラス」のことなんだろうなァと当たりをつけてたんですが。って言うかそうだった。いいじゃんよう、フロントガラスでよう。


クルマに興味ねーからその辺に関しての描写になると眠かった。その部位が残した身体への損傷の描写になると俄然興奮するんですけどね。変態ですね。
体中にギブスをつけた身障者の少女とのセックス描写でギンギンになったのは秘密。何か、メカ娘とかのエロティックさを思い起こさせますね。変態ですね。

クラッシュ (創元SF文庫)

クラッシュ (創元SF文庫)