「赤頭巾ちゃん気をつけて」読了

「こどものもうそうblog」にて取り上げられていたので興味を持ち購読。
ライ麦畑」を引き合いに出してよく語られるらしく、読んでて自分も「ライ麦」を連想しました。タイトルもそんな感じだしね。
とはいえ「ライ麦」自体うろ覚えなので、詳しくは比較できません。とりあえず気に入ったところをちょこちょこ。

そういう男の子や女の子が、自分では確かに最も新しくてカッコいいことをやっていると思いながらも、実は本人自身なんとなく信じきれないというか、ほんとうはちっとも楽しくないんだというようなことが、なんとなく哀しくなるようにはっきりと伝わってくるような気がして、そうなるともうダメになってしまうというようなわけなのだ。

楽しそうにはしゃいでる人たちを、ほんのちょっとでもよく見ると、どうもサマになっていないような感じがする。どうも、彼ら自身も自分達が楽しんでいることに対していくらかの懐疑を持っているんじゃなかろうかと、街中でふと周りを見渡すと感じてしまう。なんとなく独りで入ったファーストフードで、耳に入る喧騒や、窓際のカウンター席から見える若者の群れを眺めていて、そういう感傷にさらされたことがある。

いまやひとつには中島みたいな奴の時代らしいんだよ。(略)つまり何らかの大いなる弱みとか欠点とか劣等感を持っていてだな、それをがんばって克服するんじゃなくて逆に虫めがねでオーバーに拡大して見せればいい。しかもなるべくドギツく汚く大袈裟にだ。小説だけじゃないよ。

佐藤友哉滝本竜彦本田透

彼らはああやっていかにも若々しく青春を燃焼させその信じるところをやれるだけやったと信じきって、そして結局は例の「挫折」をして社会の中に溶け込み、そしてそれでもおおわが青春よ若き日よなどといって、その一生を甘さと苦さのうまくまじったいわくありげなものにして生きるのだ。彼らの果敢な決断と行動、彼らと行動を共にしない全ての若者を全ての人間を非難し虫けらのように侮辱するその行動の底には、あくまでも若さとか青春の情熱といったものが免罪符のように隠されているのだ。いざとなればいつでもやり直しおおめに見てもらい見逃してもらい許してもらえるという免罪符が。若き日とか青春といったものを自分の人生から切り離し、あとで挫折し転向した時にはとかげの尻尾みたいに見殺しにできるという意識が。

ああー、あーー。未だ宙ぶらりんな精神年齢の自分にはキリキリとココロを軋ませる独白。まァ青春の情熱だなんて行動をとった記憶はありませんが。


ラストの「ぼくはそんな男になろう」で思わずチカラ入っちゃったよ。
ああ、自分はハナから何かを目標とした生き方をしたことはないので、ナニかを見いだす話に基本的に弱いのです。それが自分に近いとなおさらに。
さて、これ四部作なのね。続き、どうしようかな…。

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)