「破滅の石だたみ」読了。

町田康の最新エッセイ集「破滅の石だたみ」読了。様々な雑誌に掲載されたものを大まかに分類分けして収録。
3章の読書感想と、4章のパソコン誌の連載が珍しい。 あと「告白」執筆前後の状況も興味深かった。
おもしろかったトコ抜粋。

内閣総理大臣小渕恵三のことを凡人と罵られていることに)じゃあ、言ってるお前はなんだというと、大抵の場合、まぎれもない凡人、普通の人であることは間違いなく、したがって小渕恵三閣下はやあい凡人、と罵倒された場合、うるせえ、お前だって凡人じゃねぇか。と言い返すことができるのであり、言われた方も、そういわれて見ると俺も凡人だった。そうか。忘れてた。だろ?だからさ、ココはひとつ凡人同士、仲良く民主主義で行こうぜ。イェイ。そうだそうだ。異議なし。ロックンロール。

ロックンロール。

プロデューサーやディレクターも含めた多くの人が、実際の実際、本当の本当ではなく、実際風の実際、本当調の本当を実際・本当とおもいこみ、実際の実際、本当の本当に気がつかないか、みない振りをし、本当の本当、実際の実際について語るものを狂人として迫害しているからなのである。
そんなことを考えながら私はこの『真実真正日記』を実際に本当に書いた。

……どんな内容だっけか、真実真正日記

自分は、凄いぜ、ベイビーと思いつつ、この噛みあっていない感じはなんなんだろうと思った。何かが決定的に間違っていると思った。で、考えたのは、人間は自分や自分の周囲の人間を自分で演出していると思っていて、それだけでも互いの間に齟齬が生じるが、しかし本当はそれすら間違いで、本当にすべてを企画・製作・演出・脚本しているのは神様であるということで、衷心から狂牛や結婚についての話を女のコとしたい男と、その男に関しては剥きだしの敵意をあらわにしつつもお料理は心底美味しく、、これを楽しみたい女はそれぞれ演出意図が違うから噛みあわないのだけれども、しかし実は神様はその脇に、なんかうまくいってねーんだよなー、と他人事を悩みつつ、ポークチョップを食っているおっさん(オレオレ)や、驚愕してのけぞるウエイターなどを配していてそういうことも含めて、この場のうまくいってない感じを演出しているのであってこういう場に行きあった場合、自分は通常に、おもしれぇー、と思って観客になることにしている。

おもしれぇー。

全く何の問題もなく、誰にも救われないで誰にも感謝しないで生きるのと、とてつもなくひどい目に遭って、多くの人に助けられて周囲に感謝して生きるのと人間はどちらが幸福なのだろうかと思ったのである。

吉良吉影は静かに暮らしたい。

つまりだからロッカーは、「わはは、こんなことを行ったら王様にどつきまわされるな。やはりやめておいたほうが無難だな。しかし、ちょっと面白いから言ってみるか。うわっ。言ってしまった」という逡巡・屈折、苦しみ、悲しみのごときを心の裡にいつも蔵しているべきなのであるが貧しさに負けた。いいえ、世間に負けた。ロックが世間に取り込まれ、世間の倫理に拠って全身が腐朽したロックは、馬鹿もしくはカマトトが、紋切り型、クリシェを連発する場所と成り果てて、いっていることは、旧来通り、世間体を気にして頭を下げたり名刺を配ったりするよりは、自分の感知・感得するところに忠実に生きようぜ往々オウオウオウエイエイエイエイエイ、なんていっているのだけれども(以下略)


あとパソコン雑誌の連載はマックのG4キューブを買って音声入力に四苦八苦して最終的にデルタブルースを唄って煩悶、放心、うくく。

破滅の石だたみ

破滅の石だたみ