「オーメン」観賞。

とりあえず先に言っときます。いまビール4本ぐらい飲んでる。
さて、ホット・ファズの予習として、76年版オーメンを観賞。んー、それなりに面白かったけど、どうにも肩透かし感。酒飲んでたからか?
見てて思ったのが「教育」への強迫観念ってことかしら。
悪魔の子として生み出されたダミアンから世界を救うためとはいえ、グレゴリー・ペック演じるいい大人が、5歳の少年を殺害するという、その構成自体が背徳的。
悪魔の子であるダミアンに、悪魔の弟子である乳母と、黒い犬。そして母親は直接自分の子供を叱らず乳母を仲介し、父親は放任気味。
これは、責任転嫁なモンスターペアレンツと、電波な乳母と、犬は教育を受けてない人間の象徴ではなかろうか。
この映画の主なキャラは六人。父親、母親、息子、乳母、神父、カメラマン。
父親の視点は、自分の子供が自分の子供ではないという認識。これはわが身を痛めて子供を生む女性に対して、実子を持つ実感が薄い父親を現してるのではなかろうか。
母親は、姑や、コミュニティ間のアドバイザーがない立場での近代的な育児不安。育児は人任せなのに、なつかない子供に理不尽な焦りを感じる無責任な母親か。ビリヤード台ではしゃぐ子供にイラつきながらも、直接注意はせず、ヒステリックに乳母を呼び、乳母を介して対応を命じるのが印象的。
子供の視点では、両親に構ってもらおうにも父親は事なかれ主義で、母親は近づかず、乳母は電波。親に構ってもらおうとアクションを起こすも、対人関係のスキルがないので、加減がわからず、さらに溝は深まるばかり。挙句の果てに悪魔呼ばわりで父親から殺害未遂。問題点はどこに?
乳母の視点は…んー、幼少期の誘惑の具現化か?つまらない付き合いに行きたくない。欲しいもの(犬)はいま欲しい。やりたいことをやらせてくれない邪魔者は排除したい。そういった欲望の具現化…かな?
神父。んー。旧態化した倫理観かな?ある種の文化圏では対応できていたのに、急速な文明開化によって時代錯誤になってしまった倫理観は、狂信と取られ悪癖と同等の扱いを受ける。そして時代の流れに押し流され消滅してしまう。
カメラマン…コイツは何だ?狂言回しか?
まァ、なんだかんだ言って出来のよいホラー映画は、その時代を映し出す鏡となるので、この映画を座標として色々調べていけば新しい発見もあるんじゃなかろうか。
そんな感想。