JA協同組合講座 第四回

JA本店にて組合講座第四回。 終わったあと、農協の人に「ブログ見ましたよ」といわれる。


………どうやって見つけたんだ。 さすがワールドにワイドなウェブですわ。死ぬかと思った。
ほんと、誰に見られてるかわかんないなら下手なこと書けないぜ。帰りの電車で女子高生が隣に座ってくれないから悲しいとか書けないぜ。(書くな)


そう言われたからではないんですが、今日の講座は面白かった。今回のテーマは「食の安全性について」だったんですが
講師の方が初っ端から「食の安全性なんてくだらねェ」とばっさり。 いや、そこまでは言ってないかな…。


レストランで「いただきます」を言う客が少ない。
なぜかというと、客は料理の対価として金を払っているから、「いただきます」を言う必要がないと考える。
だが、「いただきます」という言葉は、誰に向けて言う言葉なのか。 レストランの食事をみて、「店が出した食べ物」という認識だと、上記の考えになる。
でも、その食べ物はそれを作った人たちがいて、それが作られた畑や田んぼがあり、その場所には様々な生き物が住んでいる。そのことを考えてみてはどうか。


JR東日本で、カリフォルニアからの冷凍輸入弁当が駅弁として売られていた。このことになぜ誰も違和感を覚えないのか。
JR東日本は、東北の広大な田んぼの景観をPRとしてつかい、その一方でコストのみを追求して海外から輸入された駅弁を販売していた。
2007年に農協組合や旅行観光事業団体からのクレームを受け販売を中止した。


ドイツの専業農家の平均所得は約400万円。その半分は税金からの支援金である。この支援金の日本とのちがいは何か?
ドイツの専業農家への支援金は生産への税金ではなく、自然、文化の「風景」の保持のための支援金、「環境支払い」である。
ドイツでは農家の作り出す自然環境に価値を見出している。それゆえドイツでは輸入物の安いりんごジュースよりも、割高な国産のりんごジュースのほうが売れている。


とある欧米のグラフにこういったものがあるらしい。

原生自然100% -(1) - (2) - (3) - (4) - (5) - 非自然(人工)100%

左に行くほど人の手が加わっていないいわゆる「自然」の状態。 右に行くほど人の手が加えられた「非自然(人工)」の状態。
では、「田んぼ」はどの位置か? この問題に、非農家の人々は(2)もしくは(3)と答え、農家は(4)か(5)と答える。
しかし、この問題には欧米特有のある「穴」がある。それは何か?
それは、「人間」が自然ではないこと。
一神教圏内である欧米では「自然」は「神」が「人間」に与えたものであるという考え方をする。それゆえに我がもの顔で利用するが、元来「神」から譲られたものなので、あまりにも蹂躙しつくしてきた果てに、反省をし、そして「自然保護」という考えが浮かび上がった。
一方、日本にはもともと「自然」という言葉はない。海外の"Nature"という単語に相等する言葉はなかった。日本は万物に神が宿り、人と自然は渾然一体としてあった。


日本では、ゴハン一杯分の稲(3株)につき、35匹のおたまじゃくしが生息できる。もしくはカブトエビ4匹が。
誰かがごはんを消費し、その消費された分の稲を生産するさいに、数多くの生物が育つことが出来る。
自分が何かを食べる時に、その食品は自らのエネルギィになるだけでなく、何に影響を与えることになるかを考えるようになることが、今後の農業に影響を与えはしないか。


とか何とか、どんどんまとまらなくなってきたので最後投げ飛ばしました。もうどうにでもなーれ。





んで、全然関係ないんですが、帰りしなの天神地下街にて昔バイトしていた書店の元社員さんと4,5年ぶりにばったり会いました。びっくりしたよ。ちょと話し込む。