「MILK−ミルクー」観賞。

今日、明日、あさってで、見たい映画が二本。近所のSATYでやってる「グラン・トリノ」と、天神のKBCシネマでやってる「MILK」
明日は1日で、全映画館が1000円で見れる。 KBCシネマはスタンプカードで前売り券価格で見れる。明後日は仕事が早く終わるので、朝一で見に行ける。
さて、どれをどれで見れば人が少ないか?もしくは得か?


というわけで、今日「MILK」を見に行って、明日SATYで「グラン・トリノ」を1000円で見に行くことにしました。
こういうどうでもいいことで悩むのってちょっと好き。


そんなどうでもいい前置きはともかく、実在の政治家であるハーヴェイ・ミルクの生涯を描いた「MILK」
彼は、同性愛者であることを公表した上でアメリカで初の公職についた政治家。
その志は、ゲイピープルに止まらず、社会における様々な弱者の矢面に立ってアメリカを変えようとした。
そして、志なかばにして凶弾に倒れるも、彼の心はいまも生きつづけ、今、同じくカミングアウトしている映画監督ガス・ヴァン・サントによって、その生き方が世界へと広まる。


アメリカ人がゲイに対して当たりが強い理由はなんとなく二つほど想像している。
一つは作中でも公言されている「ゲイは社会の基盤である家族を破壊する」って奴で、逆に言えば家族システムってのは社会を動かすための歯車として形成されている。
確か「絶望に効くクスリ」の誰かの話で、今の西洋から輸入した「家の間取り」ってのは資本主義のための労働者(主人)と、そのサポータ(妻)と、そのスペア(子供)で成り立っているとか。……ちょっとうろ覚え。 まァ、そんなわけで、社会を動かすためのシステムに当てはまらないイレギュラなコミュニティが増えると不具合が起きるというわけ。
んで、もう一つは、アメリカのマッチョイズムの根底にあるホモソーシャル(男性同士の強い連帯関係)に潜むゲイへの憧憬を、否定するための過剰反応がホモフォビアへと繋がると思う。
体育会系では何かと「タマなし」だの「租チン」だの、「カマ野郎」だのと性的な劣等感が付き纏う。それは、自らのセックスアピールの誇示と共に、ゲイ的な願望も透けて見えやしないだろうか。とかなんとか。


まァ、そんなことを考えてみた作品でした。